プィーン太極拳講師、赤ちゃんから”生の本質”と”身体の使い方”を学ぶ
「優れた中国の武術は、宇宙の法則を具現しています。あなたがそれを体現したとき、あなたは自分自身がなぜ在るのかを知るでしょう」
数年前、ある中国武術家に言われたセリフである。以来、「宇宙の法則」ということを追究してきたが、未だ道の途中である。
”立禅”という稽古がある。空気椅子の如く、ただ股を大きく開いて腰を落とした姿勢、もしくは足幅を広げずに半身になった姿勢で、両手を目、または胸の高さまで持ち上げ、そのままじっと30分から1時間は動かない。 もっと続ける方もいらっしゃる。そんな姿を見て、傍目から見て人は”あの人は、一体何をしているのだろうか”と思うだろうが、私の場合、実を言うと、やっている本人も、これが一体何を目的とし、何を鍛え、どんな効果のある稽古なのか、はっきり言ってよくわかっていない・・・
ところが、これがまた見た目以上にハードな代物で、最初のうちは5分もやれば音をあげる。理由も効果もわからずにこんなにハードな代物を長時間するのはよほどの物好きかパーチクリンかと言われそうだが、本人は”これをやれば神秘的な氣の力が身につくのだ~”と日々部屋で静止している。流派によっては”立禅は、上下左右前後に全ての方向に意識と力を働かせ、それが均衡してその場に静止状態にある、すなわち動の極地である”と言ったり、”重力に適応する身体作りをする稽古だ”などと言われたりしているが、私自身は、まだどれが本当なのかは実感していない。真実は、稽古を続けていくうちに身体が教えてくれるのだろう。
「立禅は、”最弱”を目指す姿勢である」・・・そんな思想を、ある中国武術家の書籍で読んだことがある。私にとっては、この考え方が一番氣に入っている。「太極図の陰と陽にあるように、強く見える人間には、その強く見える要素に応じたそれ相応の弱さを隠し持っている。弱く見える人間には、その弱く見える分に相応した強さを併せ持っている。したがって、中国拳法は、強くなろうと何かを身に着ける努力をする道ではない。立禅は、最弱を目指す。ちょうど、赤ちゃんが初めて立ったときのような立ち方を理想とする。」
すなわち、立禅が”最弱”を目指すのなら、最弱に相応した強さも同時に手に入れられるということである。それが、中国拳法、いや、立禅の目指す”最強”なのかもしれない。32歳になった男が、宇宙の法則を追究するという深遠且つ崇高な理想をかかげ、その手段として、赤ちゃんが初めて立ったときのような状態の立ち方を追究して、太ももの筋肉をプルプル言わせながら、より楽な姿勢を求めて身体を調整し、両手を胸の高さに上げて空気椅子をしている。書いていて、どこか矛盾している気がするが、どこが矛盾なのかよくわからない。
そんな男の太極拳教室に、これから初めての”立っち”を控えた、一歳にも満たないかわいらし~い女の子、かなちゃんが、ざぶとんの上で寝ている。時折、私の太極拳と同じポーズをして、私を見ながら寝ているときがある。無邪気とは本当にこのことを言うのだろう。本当にかわいらしい。
立禅をしながらそんな彼女を見ていたとき、ふと”かなちゃんの方が、よほど宇宙の法則に近い・・・”そんな気がした。
生とは、”やわからさ”である。死とは”硬さ”である。そして、かなちゃんは今、ある意味で”生の極地にいる”そう感じた。全てが、生の輝きに満ちている。
32歳にして、とうの昔に初めての”立っち”の感触など忘れた太極拳家と、これから初めての”立っち”を控えた1歳にも満たない赤ちゃん・・・・
天地は、この”不思議な出会い”を、富山の小さな太極拳教室で創造してくださった。
(ふう~、32歳の男は仕事帰りなので、ビールあおって、今日はここでおしまい。つづく)
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